4月20日発売の週刊文春で木村隆二(きむらりゅうじ)容疑者の詳細な生い立ちが報道されました。岸田総理襲撃という大事件を起こしながら、未だ黙秘を続けている木村隆二容疑者。
週間文春で報道されている木村隆二容疑者の生い立ちをまとめます。
木村隆二容疑者生い立ち「兄弟と仲良しだった」
木村隆二容疑者は1993年3月に兵庫県川西市に生まれました。4つ年上の姉、1つ年上の兄の末っ子でした。小学校に入学した木村隆二容疑者は、地元のサッカークラブへ入りました。しかし、目立つ子ではなかったそうで、卒団式(卒業式みたいなもの)の前に辞めていたそうです。
3人きょうだいの末っ子だった木村隆二容疑者は、1つ年上の兄に一番懐いていたと言います。
「兄弟仲はめっちゃ良くて、帰り道も一緒に帰るほどだったな。バスケ部だったお兄ちゃんは明るい性格で頭も良かった。小学生の頃、弟が教室に顔を出してしまうため、お兄ちゃんは照れ隠しで『隆二、来るなや!』と言って追い返したりしていた」(兄の友人)

引用 Yahooニュース
小学生の頃の木村隆二容疑者は、明るく人気者だったと言われています。1つ年上の兄が同じ小学校にいて、兄弟仲が良かったのですから小学校生活は楽しかったでしょう。しかも、お兄ちゃんも明るく、頭も良かったというので木村隆二容疑者にとっては自慢のお兄ちゃんだったのでしょう。
木村隆二生い立ち「音楽の授業でクラスから孤立」
中学生になった木村隆二容疑者はソフトテニス部に入部しました。木村隆二容疑者は試合に出るほどうまくはなくいつも2軍メンバーでした。成績も中くらいで普通、女子としゃべることもなく静かに読書をすることが好きでした。
木村隆二容疑者は2つの愛読書がありました。それは「涼宮ハルヒ」シリーズと、百田尚樹のベストセラー「永遠の0」でした。読書が好きだった木村隆二容疑者、他にもいろなな本を読んでいたのでしょう。
木村隆二容疑者は中学1年生後半からいじめられていたとの報道もあります。文春のよると、中学の音楽の授業がきっかけになったと報じています。木村隆二容疑者が中学生のとき、音楽の先生が4人変わりました。
その4人の音楽の先生のうち1人が、木村隆二容疑者と合わなかったのか音楽の授業を欠席することが多くなったといいます。
ある男子から「お前、歌いたくないだけやろ」とからかわれたり、別の男子が股間を木村の机に押し付けて「この机、汚ねえぞ」などといじる一幕もあり、次第に不登校気味になっていった。
何が原因で音楽の先生と合わなくなったのかは分かりません。音楽の先生の授業の仕方がいやで授業を欠席するようになった可能性も否定できませんが、まじめに授業に出ている生徒からすればサボりだと思われても仕方ありません。
文春オンラインによると、木村隆二容疑者は、友達から無視をされたり仲間外れにされるといういじめを受けていたといいます。
木村隆二容疑者は中学2年からはカウンセリング室に通いながら中学を卒業しました。その後、地元の県立高校に入学しています。高校に通いだしても大人しい性格は変わらず、部活をするわけでもなく高校生活を楽しむこともなく、いつのまにか高校に姿を見せなくなったいいます。
もし、音楽の授業問題やいじめがなければ、高校生活も楽しむことができたのでしょうか。同級生の証言で、木村隆二容疑者は「嫌なことはいや」とはっきり言うタイプであったとも言われています。木村隆二容疑者にも何かしら問題があったと推測しますが、高校生活を楽しむことができなかったのは少しかわいそうに思います。
木村隆二生い立ち「高校中退後から父親が変わった」
地元で商店を営んでいた人物によると、木村隆二容疑者の父親は、木村隆二容疑者が小さい(小学生)ころは優しい父親だったと話しています。
「隆二くんは小さいときからお父さんとよく店に来てね。10円、20円のスルメのお菓子やうまい棒を買っていった。当時、奥さんはフルタイムで働いていて、日中は家にいない。お父さんは夜中の配送の仕事が終わった後、早朝にうちに寄って『明日の弁当は何にしよ。何のおかずを作ろう』なんて話をしていた。帰宅後、子供たちにお弁当を作ってあげていたんです」
木村隆二容疑者は、小学校の卒業文集に「パティシエ」になりたいと書いています。優しかった父親が作るお弁当はおいしかったに違いありません。中学で不登校になった木村隆二容疑者を心配するような本音を商店街で漏らしています。この頃の木村隆二容疑者の父親は、「ふつうの父親」だったのでしょう。

引用 週刊現代
木村隆二容疑者が高校を中退したころから、木村隆二容疑者の父親の態度が変わりはじめたといます。木村隆二容疑者の父親はトラック配送業をしており、夜中は仕事で早朝に家に帰る生活をしていました。仕事ぶりは真面目でしたが、いつしか株にのめりこんでいたといいます。
「その頃、お父さんはトラックの運転手をしていて、夕方5時半に家を出て、朝方に帰ってくる生活。言い方のきついところもあって、下の子にはかなり厳しく当たっていました。何度か『グズグズすんな!』などというお父さんの怒声が聞こえてきた。でも、彼はとにかく大人しい子だから、ジーっと黙ってはった」(近隣住民)
株にのめり込んでいた木村隆二容疑者の父親は、株がうまくいかない時には木村隆二容疑者だけではなく家族にもあたり散らすようになります。自宅まで警察がくるようなトラブルなどの末、木村隆二容疑者の父親は家を出でいきました。
このころから、木村隆二容疑者の母親は仕事に精を出すようになりました。木村隆二容疑者だけではなく、兄・姉の3人が自宅にいるのですから働かなければいけません。女手一つで成人した子供3人の為に働く木村隆二容疑者の母親には同情を禁じえません。
木村隆二「参院選に出馬できず犯行を計画」
父親がいなくなり、穏やかな生活を送っていた木村隆二容疑者はいつからか「政治」に興味を持ち始めました。自宅近くの公民館で行われた、元自民党川西市議の磯部裕子氏の市政報告会に木村隆二容疑者は参加。
その場には、衆院議員・大串正樹内閣府副大臣が参加していて、木村隆二容疑者は大串氏に対し熱心に質問などを投げかけたといいます。
「市議選に出馬したいが、被選挙権が25歳からなので選挙に出られない。憲法違反だから法改正すべきだ。誰でも選挙に出られるようにしないといけない」
大串正樹内閣府副大臣が、25歳になれば選挙に出られるなどと答えなましたが、木村隆二容疑者は市政報告会が終わったあとも食い下がらず、秘書に時間の都合でと引き離されるほどだったといいます。
政治に興味のある若者が増えているとはいえ、大串正樹内閣府副大臣を引き留めてまで、自分の思いをぶつけようとする木村隆二容疑者の姿は、第三者には少し異様に映ったのは明らかです。
木村隆二容疑者は2022年に「『被選挙権年齢・選挙供託金違憲訴訟』広報」というツイッターアカウント作成し活動を始めています。
参院選に立候補出来なかったとして、20代前半の原告が国を提訴しました。
訴訟では、憲法15条で保障された成年者による立候補が制限されているか、選挙供託金は違憲かを争点としています。成人以上の年齢を要求することや、300万円もの大金を支払わないと立候補させないことは、明確な制限選挙です。 pic.twitter.com/vrbV8Q8K1y
— 「被選挙権年齢・選挙供託金違憲訴訟」広報 (@hisenkyoken) June 27, 2022
2022年6月に訴えを起こしていましたが、11月の一審判決では請求を棄却されています。しかしその判決を不服とした木村隆二容疑者は、大阪高裁に控訴をして、2023年5月に判決の予定となっていました。
木村隆二容疑者は5月の判決を待たずして、4月15日の岸田総理襲撃事件を起こしました。5月の判決も棄却されると分かっていたのです。声をあげても伝わらないと確信していたのでしょう。
木村隆二「ガーデニングしながら爆弾を作った」
木村隆二容疑者は逮捕後、弁護士の宇都宮健児氏を指名したといいます。しかし、宇都宮健児氏に連絡がつかず、後日連絡がつきましたが宇都宮健児氏には弁護を断られています。
宇都宮氏といえば、日弁連の元会長で、2012年、14年、20年と都知事選に野党の支援を受けて出馬。「安倍政権の暴走ストップ!」(14年)などを公約に掲げ三度とも次点に終わった。脱原発、反貧困を旗印として活動している。
「宇都宮健児法律事務所(現:東京市民法律事務所)」を経営。以降、サラ金、ヤミ金による多重債務問題、消費者金融問題の草分け的弁護士として、一貫して被害者の救済に取り組む。日弁連消費者問題対策委員会委員長、日弁連多重債務対策本部本部長代行、東京弁護士会副会長、年越し派遣村名誉村長などを歴任。2010年〜2011年 日弁連会長を務める
木村隆二容疑者は逮捕後は完全黙秘してします。そして、弁護士に宇都宮健児氏を指名したということを考えると、今回の岸田総理襲撃は計画的犯行であると推測できます。事件当日の取り押さえられているときの木村隆二容疑者の表情を見ていても、感情が読み取れませんでした。
岸田総理襲撃事件の翌日、木村隆二容疑者の自宅が家宅捜索されています。木村隆二容疑者の自宅からは、金属管や工具類が押収されています。
「今回使用されたのは黒色火薬。ホームセンターなどで市販されている園芸用の農薬などを使って製造することが出来ます。安倍晋三元首相襲撃事件で使われた手製銃のほうが殺傷能力も、製作上の難易度も高い。今回の事件では、現場で飛散した破片がほとんど確認されておらず、威力がある爆弾とは言えませんが、中に釘を入れるなどして使用した場合には、惨事を招いていた可能性もある」
木村隆二容疑者は、園芸用で使用される農薬を使用し、黒色火薬を作成していました。近所では木村隆二容疑者と母親が仲睦まじく庭をいじる様子が目撃されていました。母親との庭いじりをしながら爆弾を作成し、どんな思いで岸田総理襲撃を企てていたのでしょう。

引用 週刊文春電子版
木村隆二容疑者は中学からいじめられ、父親も株にはまり不遇な学生生活でした。どんなに声を上げても自分の思いが伝わらないと悟った結果、岸田総理襲撃という事件を起こしてしまいました。私だったら、いつかいい方向に向かうと諦めてのんきにニート生活を楽しむでしょう。
自分の声が伝わらないからといって、暴力に頼ってしまったのは安易な考えにしか思えませんし、木村隆二容疑者に同情の余地はありません。
木村隆二父親の現在「心配してるけど俺は知らない」
木村隆二容疑者の父は兵庫県川西市の団地に母親と住んでいました。木村隆二容疑者のことについては心配はしていると話していますが、今は自分は関りがないといい他人事です。子供は成長するうちに周りの影響を受けると話していますが、父親である自分が木村隆二容疑者に何かしらの影響を与えたかもしれないとは思っていないのです。
「心配じゃないわけないでしょ。こんな状況で、親なんだから。でも、事件のことなんて聞かれても、分かるわけないじゃん。あっちの家のことなんだから。隆ちゃんはあっちの家に住んでて、俺はこっちに住んでるの。大人だから意味わかるよね、察してよ。
子供のときはみんな可愛いんだよ。赤ちゃんなんて泣いておしゃぶりするだけ。小さい頃から爆弾なんて作らないよ。成長するうちに何かあって、変わるんだから。周りの影響を受けるじゃない。朱に交われば赤くなるっていうでしょ。ごんたくれ(関西の方言で不良の意)はごんたくれと一緒におるし、東大行くような奴は東大行くような奴と一緒におる。周りから変わるんよ。外の力って案外大きいから。だいたい爆弾なんて普通作らないよ。あんた、爆弾作ろうって思ったことある? 俺はそんなこと一度も考えたことないよ。だから、本人に聞いてよ」
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